コラム

感覚の革命 ─ 言語化できない才能こそが芸術大学の未来を拓く

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デザイン思考と逆張り教育がもたらす創造性の新たな可能性

芸術教育の新たな地平を探求する動きが、日本の高等教育界に静かな変革をもたらしつつある。長年にわたり京都芸術大学で教育・研究に携わってきた身としては、大学での役職を一旦離れ、芸術教育の本質を改めて問い直す研究活動に専念する決断をした。これは決して現状の教育体制への否定ではなく、むしろ芸術教育のさらなる可能性を追求するための積極的な挑戦をしたいと考えたからだ。

近年、日本の高等教育機関におけるデザイン・アート系学部の新設が加速している。東京大学の「UTokyo College of Design」や立命館大学の「デザイン・アート学部」をはじめ、複数の大学がデザイン・アート教育に本格的に参入しようとしている。この現象は、変化の激しい社会において創造性と問題解決能力を兼ね備えた人材へのニーズが高まっていることの表れであろう。しかし、こうした潮流の中で見落とされがちな視点がある。それは、非言語能力を持つ学生たちの独自の才能をいかに育むかという問題だ。本稿では、デザイン思考を軸とした現代の芸術教育の動向を概観しながら、非言語能力を活かした新たな芸術大学の可能性について探究する。

日本における芸術・デザイン教育の新時代

大学改革の波とデザイン学部新設の動き

日本の高等教育機関は、急速に変化する社会のニーズに応えるため、教育改革の波に乗っている。特に注目すべきは、従来の美術系大学や工学部の一部門ではなく、総合大学が主導するデザイン・アート系学部の新設ラッシュである。

東京大学「UTokyo College of Design」

東京大学は2027年9月に「UTokyo College of Design」を開設する計画を発表した。これは1958年の薬学部設置以来、約70年ぶりの新設学部となる。東京大学はデザインを「一般的に理解されている工業製品の造形や芸術的意匠に留まらず、新たな価値やシステムの創出、複雑な社会課題の解決に向けた創造的なプロセスを含めた幅広い概念」と定義している。

UTokyo College of Design

藤井輝夫総長は「東京に国際的な学びの環境を作る」と意気込みを表明しており、デザインをスキルとしてだけでなく思考の方法として学ぶことで、多様な学術知をデザインによって繋ぎ、融合することによってさまざまな課題に取り組む人材の育成を目標としている。

立命館大学「デザイン・アート学部」

立命館大学は2026年4月に「デザイン・アート学部」および「大学院デザイン・アート学研究科(仮称)」の開設を目指している。京都市北区の衣笠キャンパスに設置予定で、入学定員は学部が180人、大学院が博士前期課程20人、同後期課程5人を想定している。

新学部・研究科の特徴

立命館大学総合企画部の太田猛部長は「新学部/研究科が真に目的とするのは、デザイン力・アート力を生かして、未知の課題に挑戦できる、あるいは自身の思い描くビジョンを実現できる人材の育成」と述べている。

特化型デザイン学部の誕生

総合大学だけでなく、女子大学など特定の強みを持つ大学も専門性の高いデザイン学部の新設に踏み切っている。

日本女子大学「建築デザイン学部」

日本女子大学は2024年4月に「建築デザイン学部 建築デザイン学科」を開設した。目白キャンパスに設置され、入学定員は100名。この学部では以下のような人材の養成を目指している:

日本女子大学「建築デザイン学部」

駒澤女子大学「空間デザイン学部」

駒澤女子大学は2025年4月に「空間デザイン学部 空間デザイン学科」を開設予定である。東京都稲城市の同大学キャンパスに設置され、入学定員は70名、収容定員は280名となる。学位は「学士(空間デザイン)」を授与する。この学部の開設に伴い、同大学の人間総合学群住空間デザイン学類は学生募集を停止する予定だ。

大妻女子大学「共生デザイン学科」

大妻女子大学は2026年4月に「人間共生学部共生デザイン学科」(仮称・設置構想中)を開設予定である。多摩キャンパスに設置予定で、開設に向けた準備が進められている。「共生デザイン」という名称から、多様性を重視した社会課題解決型のデザイン教育が想定される。

デザイン思考と言語化能力の偏重傾向

現代のデザイン教育における言語化の重視

昨今のデザイン教育においては、「デザイン思考」という概念が中心的役割を果たしている。デザイン思考とは、デザイナーが問題解決にアプローチする際の思考プロセスや方法論を体系化したものであり、共感・問題定義・アイデア生成・プロトタイピング・テストといったステップを通じて革新的な解決策を導き出すアプローチである。

デザイン思考プロセスでは、上図の能力が重視される

こうしたプロセスの多くの段階で、言語化能力が重要視される。特に、問題定義やチームでのアイデア共有、プレゼンテーションなどの場面では、自らの思考や発想を論理的に言語化する能力が求められる。たとえば、東京大学の新学部設置構想では「デザインを思考の方法として学ぶ」と明言されており、立命館大学も「問題解決力」「問い直し力」「問題発見力」など、言語的思考を基盤とした能力の育成を掲げている。

言語化偏重の限界

しかし、このような言語化能力に重点を置いたデザイン教育には、見落とされがちな盲点がある。それは、本来デザインやアートの世界で大きな価値を持つ非言語的な感性や直感、身体知といった能力の軽視につながりかねないという点だ。

例えば、以下のような非言語能力は、従来の芸術教育において重要視されてきたものである

非言語能力

これらの能力は言語化しづらい性質を持ち、論理的思考のプロセスだけでは育成が難しい。しかし、真に革新的なデザインや芸術作品の創造においては、こうした非言語能力がしばしば決定的な役割を果たす。

非言語能力を活かした芸術教育の可能性

非言語能力の重要性を再考する

非言語能力が高い学生に対して無理に言語化能力を強調する教育は、その学生本来の創造的能力を最大限に引き出せない可能性がある。むしろ、非言語能力そのものを伸ばす教育アプローチが必要ではないだろうか。

非言語能力が創造性において果たす役割は大きい

これらの能力は、特に芸術やデザインの分野において、革新的なアイデアや表現を生み出す源泉となる。例えば、プロダクトデザイナーの深澤直人氏は「デザインにおいて大切なのは、言葉にならない感覚を形にすること」と述べており、建築家の隈研吾氏も「建築は言語化される前の身体感覚から生まれる」という考え方を示している。

逆張りの教育戦略

主流となりつつある言語化・論理化重視のデザイン教育に対して、あえて「逆張り」の教育戦略を取る芸術大学の存在意義は大きい。ここでいう逆張りとは、非言語能力を中心に据えた教育アプローチを意味する。

逆張り教育戦略の具体例

このような教育は、すべての学生に適しているわけではない。しかし、言語化よりも感覚や直感に強みを持つ学生にとっては、その潜在能力を最大限に発揮できる環境となりうる。芸術大学は、まさにそうした非言語能力に長けた学生の才能を引き出す専門機関としての役割を担うべきではないだろうか。

芸術大学の差別化戦略としての非言語教育

総合大学との差別化

東京大学や立命館大学などの総合大学がデザイン学部を新設する中、既存の芸術大学はどのように差別化を図るべきか。その答えの一つが、非言語能力を重視した独自の教育アプローチである。

こうした差別化により、芸術大学は総合大学のデザイン学部とは異なる人材を育成し、独自の社会的価値を提供することができる。

芸術大学における非言語教育の具体的アプローチ

非言語能力を中心とした芸術教育を実践するためには、どのような具体的アプローチが考えられるだろうか。

感覚教育のカリキュラム設計

例えば、「言葉にする前に手を動かす」をモットーとした実習や、「批評より感覚」を重視した評価システムなどが考えられる。

従来の評価システムでは、論理的な説明や言語化能力が評価の中心となりがちだが、非言語能力を正当に評価するための新たな指標や方法論の開発が求められる。

感覚と言語のバランス

非言語能力を重視するといっても、言語化能力を完全に無視するわけではない。むしろ、感覚と言語のバランスや、非言語的創造と言語的理解の相互作用を意識したカリキュラム設計が重要である。

例えば

社会における非言語型人材の価値

変化する社会と労働市場

AIや自動化技術の発展により、従来の言語化・論理化能力を中心とした仕事の多くが自動化される可能性が指摘されている。例えば、GPT-4のような生成AIの登場により、文章作成や論理的分析といった言語能力を必要とする業務は急速に自動化されつつある。

一方で、非言語的な感性や創造性、直感力といった能力は、AIが最も苦手とする領域であり、今後も人間固有の価値として重視される可能性が高い。特に、芸術やデザインの分野では、言語化できない感覚や直感が革新的な表現や解決策を生み出す原動力となっている。

非言語能力を持つ人材の社会的役割

非言語能力に長けた人材は、今後の社会において以下のような役割を担うことが期待される:

  1. 感性イノベーターとしての役割
    • 言語化される前の潜在的ニーズや可能性を感覚的に捉える
    • 直感的な発想から革新的なデザインや表現を生み出す
  2. 身体的知識の継承者としての役割
    • デジタル化では伝達できない手技や身体知を保持・発展させる
    • 物質性や素材感を重視した価値創造を担う
  3. 人間固有の感性の探求者としての役割
    • 機械では代替できない人間の感性や美的価値を追求する
    • 技術と人間性の橋渡しをする感性的視点を提供する

こうした役割を担う人材を育成することは、芸術大学の重要な社会的使命といえるだろう。

非言語型人材育成のための教育環境

理想的な教育環境の要素

非言語能力を持つ学生の才能を最大限に引き出すための教育環境には、どのような要素が必要だろうか。

言語と非言語のハイブリッド教育の可能性

二項対立を超えて

言語能力と非言語能力を対立的に捉えるのではなく、両者の相乗効果を生かした教育も考えられる。言語と非言語のハイブリッド教育は、両方の能力を持つ学生だけでなく、どちらかに強みを持つ学生にとっても有益な学びの場となりうる。

多様な学習者への対応

学生一人ひとりの強みや特性に応じた教育アプローチが重要である。言語能力が高い学生には非言語的感性を養うプログラムを、非言語能力が高い学生にはその強みを活かしながら必要な言語化能力を補うプログラムを提供するなど、個別化された学習環境の整備が求められる。

結論:芸術大学としての戦略的展望

差別化と独自価値の創出

芸術大学が今後も存在意義を発揮し続けるためには、総合大学とは異なる独自の価値を提供する必要がある。そのカギとなるのが、非言語能力を持った学生の才能を最大化する教育環境の提供である。

言語化・論理化重視のデザイン教育が主流となる中、あえて「逆張り」の教育戦略を取ることで、芸術大学は独自のポジショニングを確立できる。全ての大学がこの方向性を取る必要はなく、むしろ少数の芸術大学が非言語能力を重視した特色ある教育を提供することで、多様性のある高等教育エコシステムが形成される。

非言語教育の社会的意義

非言語能力を持つ人材の育成は、単に芸術大学の生き残り戦略というだけでなく、社会全体にとっても重要な意義を持つ。言語化・数値化・自動化が進む現代社会において、人間固有の感性や直感、身体知を担う人材は、文化の多様性や創造性の源泉として欠かせない存在である。

芸術大学は、こうした非言語的価値の担い手を育成する専門機関として、独自の社会的使命を担っている。デザイン思考や言語化能力を重視する教育機関が増える中で、非言語能力を中心とした「逆張り」の教育は、芸術大学が取りうる戦略的方向性として大きな可能性を秘めている。

未来への展望

芸術大学は今、変革の時を迎えている。総合大学によるデザイン教育の参入という挑戦に直面する中、従来の教育モデルを再検討し、独自の強みを再定義する必要がある。その答えの一つが、非言語能力を持つ学生の才能を最大化する教育環境の構築である。

すべての芸術大学がこの方向性を取る必要はない。しかし、少なくとも一部の芸術大学は、言語化・論理化重視の潮流に対する「逆張り」の教育を提供することで、教育の多様性を保ち、真に革新的な創造力を持つ人材を社会に送り出す役割を担うべきだろう。

非言語能力の高い学生に無理やり言語化能力を活かす教育をしても、クリエイティブな能力が最大化されることはない。むしろ、その非言語能力という才能を伸ばすことこそが、芸術大学の使命であり、社会への貢献である。文理融合や問題解決型のデザイン教育が主流となる時代だからこそ、感性や直感、身体知といった非言語能力を育む教育の価値は、かえって高まっているのである。

※本記事は、過去にnoteで執筆した記事を再掲しています。

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